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新年の最初のお客様は、ポーランドのピアニスト・ミハウと共にお食事でした。すぐに意気投合しましたが、特に音楽の制作については同じ意見を持ち合わせる仲となりました。この辺りのフィーリングというものが音楽制作には最も重要ですが、形を一緒に作っていく考え方みたいなものが同じ方向性を向けないと、中々難しいことが多いものです。これまでの経験も踏まえ、彼とは今後様々な領域で仕事を一緒にしていければと思っています。

因みにピアニストといってもジャンルが様々にありますが、彼の場合はクラッシックをメインにしながらもジャズを演奏するということで、僕がいつも仕事をしているサンクトペテルブルグのストリングスセクションとのコラボレーション・プロデュースを考えているようでした。まさに音楽の世界は、完全にワールドワイドになったと言えます。

こちらとしても色々とプランニングできる内容が考慮でき、目指すポイントも高いものになっていきます。

  • 2020年1月3日
  • 読了時間: 3分

数年ぶりに自分の名義で楽曲を発表したのですが、これまでとは全く別物の扱いでのリリースとなりました。本格的に世界へ出てからの作品ということと、完全にプロデューサーという立場でアクセスしたために、演奏そのものは一切していません。企画の立案、指示系統、アーティストのブッキング、そして編曲とミキシング・マスタリングエンジニアという立ち位置でのリリースとなりました。企画自体は全く別案件だったのですが、ピアノとストリングスセクションを僕の側で管理させてもらうことになり、交渉後に僕名義での発表も可能になりました。

エルトン・ジョンのカバー曲ですから、ピアニストをどうするか・・・と考えた時に、凡その外郭は出来上がったいた楽曲に対して、スーパースターを起用したいと思っていたところ、ロンドンで他の楽曲で一緒にレコーディング中だったチャック・サボ(エルトン・ジョンのライオンキングで印象的なドラムを叩いたドラマー)と話す機会があり、彼に相談したところジョン・キャペックを紹介されました。少しインターネットで調べたところ、それはもう巨匠中の巨匠で、こんな人と仕事をする日が来るなんて思いもしませんでした。ジョンは、TOTO、ダイアナ・ロス、オリビエ・ニュートンジョン、ロッド・スチュワートやジョー・コッカーなど僕が子供のころから憧れてきた多くのアーティストを手掛ける、正に生きる伝説という扱いの人でした。こんな人との仕事というのはもう二度とないと思い、早速彼にコンタクトをとってみるも、それはもう本当に頑固一徹の職人肌のアーティストでした。

曲の制作の間も何度もやり取りする中で、半ば感情的になったりと、プロデューサーをしていると何時も出会う光景は国境を越えても変わらず・・・(笑)ありました。でも、プロフェッショナルになればなるほど、上に行けば行くほど、具体的な完成型の景色を見ているからこその衝突というものは常にあります。これが無くなっては、逆に良いものを制作することはできず、世界で評価を得ようとすれば当然必要な要素と言えると感じています。

そしてギターはニューヨークのゼィブ・シャレブ、ベースはドイツのマデリーナ、ストリングスセクションをサンクトペテルブルグのマリア、そしてドラムはチャックと何時ものスターメンバーを要しての制作進行となりました。

リリースしたばかりで、まだチャートなどは分かりませんが、早速に海外のCMで使いたいという問い合わせがあったり、エンドース契約をしているメーカー側も積極的にコマーシャルしてくれたりと、手ごたえのある反応を示してくれています。特にドイツ・オランダ・フランス・イギリス辺りで評価されるのは大変で、今後これらの国でどういう扱いでこの楽曲が生き残れるのかを見て行きたいと思います。

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