2019年の夏に試みたアップデートは、これまでで最大のものであった。今後もここまでのものを予定はしていないし、過去にも経験のない規模のものであった。エンドーサーという立ち位置から、機材は直接本国のプロダクトブースから毎日のように100kg以上の重量と共に到着した。毎週のように大型のトラックがスタジオに横付けされ、物凄い迫力であったが、到着した機材たちはそれ以上のものを物語っていた。
先ずはSPLから説明していきたいと思う。SPLはPQやIronなど、個性的な機材をリリースしてきているが、ズバリそれぞれを導入してチェインを組んでいても、彼らの考える一貫したサウンドづくりは理解できないと言い切れる。日本では未発表だが、マスタリングコンソールとルーターを駆使し、全てのチェインを繋ぎ合わせ、尚且つM/SプロセッサーであるGeminiを組み上げ、尚且つ最高音質の欧米の楽曲をマスタリングしてみないことには、ハード並びソフトコンテンツの作り込みという醍醐味を知ることは決してないと断言できる。まず驚かされるのは、全てのチェインに慣れ使いこなせるようになってくると、全く別次元のサウンドを組み上げられるようになる。音像が別物であるし、そのリアリティとリッチなサウンドは、どうあがこうがこれまでに実現したことはなかったし、今後も他の機材では難しいと思える。ただこれは、確実に使いこなせるというスキルが前提になる。国内の楽曲と海外(欧米や中東、アジア諸国も含め)とでは、作る音の性質が全く異なる。これは毎日のようにぶつかる難題であるが、諸外国から送られてくる楽曲のマスタリングは、グローバルスタンダードの感性をもってすれば、凡そどんな形にせよ感性を共有できる。それが英語圏であろうと、イスラエルからの楽曲であろうと、韓国からであろうとも、全てそれらはグローバルスタンダードに準拠していることが大前提である。しかし、国内の仕事の場合、このグローバルスタンダードが全く通用しないケースが殆どである。要は、国内のサウンド特有の性質を持っており、そちらのサウンドメイクをメインに感性を働かせないとOKが取れない。国内での評価としては、世界で用いられる楽曲のテイストは濃すぎるのである。低音が強すぎる、高音がきつい、中音が濃厚すぎるいった具合の要求を受けることが多く、欧米で用いられる機材は輸入されてはいるが、サウンドそのものは正にドメスティックそのものなのである。これは日々の仕事で物凄い量で経験するし、ここまで海外の仕事と国内の仕事双方を請け負っているスタジオは無いと思えるので、この言葉に信ぴょう性はあると言えるだろう。先ずソフトに対しての考え方が以上の状況にあるので、正直なところ機材の性能を使い切るという状況は国内ではあり得ない。能力の1~2割の場所で仕事をし、納品しているケースが殆どである。これは価値観であるから、どうこういうことではないが、国内の仕事しか経験のない者にとっては、機材が持ち合わせるそもそもの能力などというものとは遥か縁遠いものであることは違いない。メルセデスが300km走行をできるとして、国内でそんな速度を出す場所が無いゆえに、国内のメルセデスユーザーたちは、そもそものメルセデス本来の性能を知らないのと同じことである。アウトバーンで200km超えの運転など、いきなり行って出来るものではないし、筆者はサーキット走行の経験からアウトバーンで250kmを経験できたが、一体そんな日本のユーザーがどれ程存在するだろう?それほどに、性能そのものを出し切るという行為自体が、環境や状況に左右されるともいえる。
そしてSPLのマスタリングチェインを全て使いこなし、各国のクライアントからOKを取るように楽曲を作り上げていくと、SPLの創造する全く異次元のサウンドが見えてくる。先にも述べた音像の大きさはとてつもないし、リアリティやパンチ、そして何よりもその楽音の美しさというものが全く異次元である。これは、全てのチェインを組み上げたからこそ見えたもので、以前PQのみを使っていた時には全く見えなかった景色である。PQの用い方もM/Sであったり、メインであったり、ファイナルであったりとルーターにより自在にコントロールできるがゆえに、そもそもの立ち位置が全く違うものとして機能する。IronもPasseqも、どれもが他の機材と連携し、自在に立ち位置を変化させるため、その機材自体を単体で評価するということがナンセンスと言えるだろう。SPL社は間違いなく、全体像のチェインとして一連のマスタリング機材を開発してきており、2015年から始まった彼らの野望は4年間をかけて完成したことになる。これは正にヨーロッパのLong term(長い期間)を貫き通す力と、一つのことに的を絞り、そこへ一貫性をもってして成し遂げる力は、伝統ある彼らの仕事であると感じさせられる。
世界最高のマスタリングチェインを手に入れたとして、やはりその音は世界最高のスピーカーで最終判断したいと思う。それがゆえに、Kii THREEとBXTを導入した。これも日本未上陸の機材を用いるということと、BXTは音も聴かずにクリスCEOの話を信じて導入した。そもそもKii THREEの性能があまりに高かったがゆえに、これを製造できたメーカーがエクステンションを外すわけがないという考えの下導入となった。
一本50kgというヘビーウェイトは、設置に手間取ったが見た目は抜群である。そしてここからKii Audio技術の高さを垣間見ることとなった。ドイツ側からトーマスがFacebookのメッセンジャーで指示をくれ、TeamVeiwerでKii THREEとBXTにファームウェアを遠隔操作でアップデートするという。DSPのスピーカーとはいえ、ファームウェア一つでスピーカーの基本性能を変化させてしまうという発想は、正に天才的な発想力を持つドイツ人ならではと思えた。30分ほどかかったトーマスとのやり取りから、見事にファームウェアのアップデートを終えたKii THREE + BXTは、信じがたいほどの濃密なサウンドと、精密な音を奏でた。低音から非常にスムースな立ち上がりを見せ、SPLのマスタリングコンソールから発せられる麗しきサウンドを見事に演奏してくれるのだ。そう、演奏という言葉がふさわしいのが、Kii Audio社のスピーカーである。間違いなく、この構成が現在世界で最も高品位の部類に入るだろう。それは世界のスタジオでの導入率にも裏付けられるし、誰もが憧れていることは確かだと思う。実際僕の下には、正に世界中から質問が来る。アメリカ、イギリス、オランダ、フランス、ドイツ、チェコ、ポーランド、オーストリア、オーストラリア、フィンランド、デンマーク、イタリア、スペイン、ポルトガル、レバノン、イスラエル・・・もう上げたらきりがないほどの質問を受けるが、一応エンドーサーとして丁寧に答えているつもりだ。
今回導入したSPL以外には、多くのelysiaの機材が既に導入されている。elysiaとSPLは非常に親密な関係にあり、elysiaのルーベンCEOはSPLの出身でMixdreamを設計している。それ故に、Mixdreamとelysiaの機材の相性は抜群に素晴らしい。それはNeosもしかりだが、それに加えBettermakerも導入されている故に、サウンドとしては次世代も次世代、Hi-Fi中のHi-Fiのサウンドが作り上げられる。これだけではサウンドとしての幅が広がらないゆえに、IGS Auidoの真空管マスタリングチェインを多数導入した。どれも予想以上に素晴らしい哲学とサウンドを持ち合わせており、今となっては手放すことの出来ない機材ばかりになった。特に Tilt N Bandは本当に濃厚なサウンドを作り上げることが可能で、バリバリのイギリスから送られてきたEDMサウンドを扱う際に、音量感とワイド感、そして質感を付加する以上に、濃密さ、濃厚さを楽曲内に演出することが可能になった。このアドバンテージは圧倒的に機能し、ベイルートからの仕事は一発でOKが取れると共に、そのサウンドの味わいというものの解説をクライアントから求められた。
この解説という行為自体が、こちら側の認識を新たにするものでもあった。要は説明の付かないようなマスタリングを構築しており、欧米で用いられるマスタリングの手法をもってしても、これまでの常識では理解不能の内容なのだ。PQがクリアなサウンドを作っているのか?と聞かれても、トータルバランスでサウンドを作り上げているがゆえに、何かが特殊な効果を発揮しているとは思えないのだ。いや、むしろ全てがスペシャルすぎるがゆえに、余りに行き過ぎた仕様ゆえのサウンドともいえるのかもしれない。
以上の内容は偏ったようにも思えるかもしれないが、世界の舞台で活動する国内のマスタリングスタジオ、レコーディングスタジオというものは聞いたことが無いし、世界の舞台で活動していても名前も出てこない。これは紛れもなく、世界で活動するからこそ構築されているノウハウと哲学であり、何か機材を一つ二つ入れたところで根底から理解をすることなどそもそも不可能と言えるかと思う。やはり最高レベルの楽曲に触れ、その折に必要とされる理想のサウンドを追い求めるときに、それこそが哲学の根幹と言える。そもそも欲しない限り与えられるものでもなく、機材を足したところで実現もしないだろう。機材はあくまで哲学の実現に必要な道具であり、その道具が哲学を生み出すことはない。機材からヒントは与えられるかもしれないが、あくまで根幹は自らの強力な信念を基とした哲学に依存する。世界の最もレベルの高いところで、アグレッシブに動けばこそ必要とする内容であることに間違いはないし、何か一つを手に入れたところで全体像も見えてこない。全てのバランスが絶妙に絡み合うときに、こうした機材やその価値というものが昇華するのだと言えるだろう。
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