ドイツ・カールスルーエにほど近い場所にある、ウーヴェが運営するスタインウェイピアノサロン。
西洋と日本における音の違いというものは、洋楽とJ-POPに代表されるようなもののみではなく、あらゆるものに共通することはこれまでも述べてきました。例えばそれがマイクであれスピーカーであれ、最終型として聴くことの出来る音楽のみではなく、ハードである機器自体も全くその音色というものは西洋のものとは性質が異なります。その結果として、スタジオ機材、並びにオーディオ機器メーカーというものは、ほぼ輸入品に頼っている状況であり、国内企業が食い込める余地のないほどに諸外国のハイエンドメーカーが犇めき合っています。
更には一部工業製品としての立ち位置が強いイメージのあるピアノについても、それは本国で聴くことの出来る楽器と日本で聴くピアノとでは全く別物です。それは気候や環境のせいではなく、音色を作り上げる技術者たちの感性によるところがほぼ100%起因しているかと言えます。理由としては、ヨーロッパやアメリカよりも高温多湿な気候を音色の違いを起こす原因とされていますが、実際のところ日本と似た気候の地域はヨーロッパであれアメリカであれ存在し、例えばミネソタ州やワシントン周辺では実際ところ高温多湿な時期というものがありますし、そもそもニューヨークスタインウェイの所在するニューヨークのイースト川周辺というのは、非常に多湿な場所で知られています。また、ヨーロッパでも世界的に著名なカールスルーエ近くのウーヴェのスタインウェイ・サロンを訪れれば、夏場は70%近い湿気を帯びていることがあります。よって、これらの考え方は却下しておいた方が、より自然に物事を理解できるものと考えられます。現地とは異なる音を理解するために、何かしらの落ち着きどころを考え、それが一般的に根付いてしまったと言った方が良いかもしれません。
何かしらの理由付けというものは、スタジオワークでも全く同じ現象が起きています。J-POPと洋楽の違いというものが電力によりもたらされるという考え方ですが、これも殆どがエンジニア側の感性の違いが基で起こっているものであり、例えば当社内のマスタリングであっても、ウィーンのスタジオで230vの出力で稼働している機材の中、でプラグインばかりを使用したマスタリングであれば、当然欧米の音の作り方を学んだエンジニアの100vの国内マスタリングに負けます。もちろんこれらは、エンジニア側のセンスや感性が根底に存在することで言えることですが、明らかに西洋人の音の捉え方と一般的な日本人の音の捉え方は別物です。
アリーナでの行われる来日公演の合間に、マスタリングに来たナラン。求められる音の感性は、日本のアーティストたちとはまた一味異なる。
何故ここまでの違いというものが発生するのか?常々エンジニアや制作関係者にその起因というものを探し求めてきましたが、どうやらこれだけでも説明がつかないと最近思い始めています。というのは、世界の音というものを求めても、それを国内では実現できないと思っているアーティストやプロデューサーと共に、そもそも世界でどんな音がしているのか自体に興味のない、若しくはグローバルスタンダードというものに対しての関心すらないというアーティストも見受けられます。しかし、国内消費だけでは立ち行かなくなっている昨今、音楽ビジネスは明らかにグローバル化していかなければなりませんが、現在の国内消費で硬直化している考え方そのものを、柔軟な姿勢にモチベーションを変化させ、海外の需要に応えるる必要に駆られていることは間違いありません。
これは一つの結論として、需要が2極化していると言えます。確実にグローバルスタンダードのサウンドは国内需要としても強く、一流と言われる歌手たちのマスタリングを海外で行うことが横行しています。これは一流として予算が取れれば取れるほどに、その傾向が強くなるともいえるでしょう。逆に言えば理想は海外にあり、予算さえあれば外へ出て理想のサウンドを探し当てたいとするトレンドが色濃くあるとも言えます。
一方でそこまでの予算がないがゆえに、そもそもの視点を持ち合わせないとする後者側の考え方は、新たな視点と姿勢を知ることで視野が変わることも考えられますが、これはそもそも国内で構築されてきた音を聴き続けてきた結果であるとも言えます。
それでは、何故ここまで海外に活路を見出したり、その音の違いというものが明確に出すぎているのか?それは一つに、未だに国内できちんとした音場環境・再生環境が整備されていないことがあげられることは確かでしょう。世界では今現在国内で見られるようなスピーカー・アンプメーカーを使用するハイエンド市場というものは見ることが殆どありません。それはプロの世界であるスタジオでもそうですし、コンシューマー向けのハイエンドオーディオ機器の世界でもそういえます。特に最も進んだ考え方を持ち合わせているドイツ市場においては、世代としては数世代先を行っており、尚且つ日本には入ってこないような全く別物の機材を使用していることが殆どです。これは、グローバルという考え方からすれば、機材の選定からしても考え方を改めていく必要がると共に、聴いているポイントが異なるがゆえに機材の選定すらも、すれ違いを感じざるを得ません。
ドイツで頻繁に行われるハイエンドオーディオの試聴会。恐らくこの中で日本へ輸入されている機材は一つもない。
機材選定の場からして異なる選択肢を行っているということになると、これはそもそもの根底における音の価値観における考え方が全く違うと結論付けられます。機材が違えば出てくる音が違い、更にはその作り方、使い方も異なるでしょう。ピアノも同じことで、素材であるピアノ本体を渡されたとしても、その音をつかさどる側の感性が異なれば、当然のようにピアノという個体は違う方向性の音を放つようになるわけで、このソフトコンテンツ側(人間側)の違いというものを考慮しないことには、ただ違う違うと主張したところで次の議論へと移り変われないと感じています。
ウィーンフィルのレコーディングで使用されたベーゼンドルファー。日本で聴くベーゼンドルファーとは全くの別物であり、正に洋楽とJ-POPの違いを感じさせるものであった。
しかし、その違いを具体的かつ体系的に説明できる資料や人というものも殆ど存在せず、実際のところは迷走中といった感もあります。そしてこの感性の違いというものは、根底には何があるかというと、日ごろ使用される言語の周波数帯に依存しているようにも思えます。例えば同じアジア圏であり、モンゴリアンである中国・韓国・モンゴルの人々は、日本人とは全く異なる感性で音を聴いています。実際にこの3ヵ国にクライアントがおり、彼らとのやり取りから感じさせられるものは、微細な音の違いというものを感じ取る力と共に、音楽における重要度というものを聴き分ける力も感じさせます。例えば日本においてのノイズは絶対にタブーで、それを如何に排除していくのか・・・というものが重要視されますが、アジア圏も含めて極端なものでない限りノイズはあまり嫌われません。エラーから探す日本人と、構築型の考え方・聴き方を持ち合わせている諸外国の人々という印象を受けることが良くあります。また、各セクションのサウンドにおいても、確実グローバルスタンダードに準拠しており、日本のように特別変わった音が各国で生成されているとも思えません。
ここまでベクトルが違うと、一体何から着手するのか・・・という議論になってしまいますが、まずは私たちのスタジオが世界で成功を収めていくことだと感じています。そしてその実績を背景に、更なる経験を積み上げていき国内への影響力を強めていきたいとも考えています。
実際に世界の場で戦わないことには、見えてこないことは山ほどあります。そうした経験値というものを、より共有できるように努めていきたいと思っています。
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