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執筆者の写真Furuya Hirotoshi

欧米で構成される本国の音について考える。

アメリカやヨーロッパから日本に戻ると、なぜ音の違いに驚く?

ハーバード・ビジネス・スクールの授業を受けにボストンまで行き、仕事で帰国しその帰り道に幕張メッセでの講演を終えこのコラムを書いています。正にホットであり、その驚きや情熱を余すところなくお伝えできる環境かもしれません。幕張メッセで行われた講演の題名は、 『欧米スタイルのミキシング・マスタリングを紐解く』 というもので、スタジオワークを一例に捉え日本と欧米で作られる音の違いについての講演でした。一例というのは、これは何においても共通の概念として考えられ、例えば 『欧米スタイルのピアノ調律・音作りを紐解く』 とも置き換えることが出来ます。要は、本場で作られている音がどういうものか、共に考えようというスタンスの講演です。 これまでの仕事において、自分のスタイルというものは欧米の音楽を中心に回ってきており、キャリアも地位も全て海の向こう側で培われたものです。バークリー音楽大学で習ったもの、その後欧米からの指名を受けるようになるプロデューサー業も、その根底にあるものは音色の探求であり、果てしない旅路を未だに答えを探して歩み続けています。そして今回帰国し、改めて感じることとしては、 『音色が何故欧米と国内でここまで違う?』 と思えてしまう現状です。本当に驚きます。各国(本国)で聴くピアノの音、そしてスタジオで作り上げられる様々なジャンルの楽曲は、何故ここまでの違いが現れるのかを、様々な尺度から考慮し思考をまとめ、自分なりの解答を探し求めています。そして最終的には、講演や紙面を通して様々な場で発表をしています。こうした議論は、これまでにも多少はあったかもしれませんが、更に学術的に、若しくは理論立てて説明の付く所まで追求されたことはあるでしょうか?あるのであれば、もう少し欧米・表現を変えれば本国の音に近づいていて良いはずです。結果から見れば、数カ月の研修や留学も余り結果が出ておらず、学ぶべきものや吸収すべきものは”感性”という最も重要な箇所は育まれずに、目で見て分かり易い表面的な”その手法”のみに重点が置かれたため、欧米社会に存在する最も文化的な部分を、『感性でもって』見通すという箇所は、その重要性を認識する意味では、考えにも及んでいないと感じています。 例えばアメリカであれば開放的でありながら、その中に鮮やかな音色を散りばめるイメージを持ちますし、ヨーロッパであればその色彩とともに長い伝統を重んじた重厚さを感じさせます。双方に言えることは、音の制限を設けずに幅広く全体を捉えたうえで、美しく各パートの音色を整えていくイメージを持ちます。パッと聴いた感じ以上に緻密な工程を経ていることは明確で、その工程とは所謂作業をどうするという類のものではなく、体の奥深くで感じ取る感性以外の何物でもないが故に必要となる課程を経ると思っています。その感性・感じ取る力が、後に工程として音をどう扱うかという話に流れていくのであって、感じ取ることが出来ないのに工程の話を一方的に行うのは、本来の道筋からはズレてしまうと言えるでしょう。これはピアノであれ、スタジオワークであれ共通の概念で、ヨーロッパを中心としたメーカーからエンドースメントの契約を貰う折にも、オーディションで重要な位置を占める音の捉え方かと思います。 自分が欧米の音を代表するような形で述べることが出来るのは、実際に欧米社会で仕事をこなしてきたという以上に、各国のメーカーの顔として自分が彼らの音を作る代表者として選出されたことを、1つの裏付けとして捉えています。しかし、日本に帰ってきた途端、小さな箱の中に無理やり全ての音を押し込んでしまう。若しくは、日本人にとってはある種の粗さとも捉えられる部分を全て取り除いてしまい、楽器として本来持ち合わせている音色までを全て取り除くことで、主たる音が存在しないピアノやCDを見ることが多々あります。 欧米で日々音楽に触れる、例えばちょっとしたシーフードレストランでピアニストが弾いているピアノは、明らかに現地の発音を持ち合わせている楽器です。この定義は、先程の最大限ダイナミックレンジを確保しながら、その中にも美しく整えられた各パートを共存させるという考え方と、同じ意味合いを持っています。そして、種々の楽器が上手く調和を果たし、各部で美しく音楽を形成するよう仕上げられ、ダイナミックレンジを大きくとることで、音楽としての幅と表現力の可能性を広げるだけ広げているとも言えます。 これだけの格差をどうすれば埋められるのか?という質問に対しては、今のところの解答というものは見いだせていないのが現状だと思います。では、実際皆が皆欧米社会の音楽文化に溶け込めていないのか?と問われればそうではなく、一部の日本人は海外の重要な立ち位置を占める一人として、活躍する人も見受けられます。しかしそれは、『~~人』という枠組みを大きく外れ、現地での活動を中心としたハイブリッド型の人たちを差し、純正日本の環境で育った人たちではありません。実際自分もこの部類に入ると考えており、教育からチャンスの場まで、その全てがアメリカやヨーロッパで執り行われてきました。 今の段階としては、日本では課題の多い音が存在し、ピアノもスタジオワークもその殆どが本場の音ではないということを啓蒙することしか出来ていませんが、先ずはこの第一歩を踏み出すことが大切なのではないかと思っています。そもそも、『現地の音とはなんぞや?』というものを提示し、そしてその裏付けとなる海外での活動というものを再度お見せ出来ることが、最初の一歩ではないかと思います。この定義すらあやふやであった昨今を考えると、先ずは明確な指針を示したことで、今後の展開を見通せるのではないかと思っております。 現地の音を体感されたい皆様、是非ご一報下さい。

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