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  • 執筆者の写真Furuya Hirotoshi

今必要とされるのは、追い付けていない現実を認める、謙虚さではないか

気付き、認めるところから全てが始まる。

ヨーロッパの旧市街。右手奥は、シューマンが一時期過ごしたとされる家。ブラームスはここで、体調不良のシューマンとその妻子に対して、献身的に尽くしたとされる。

文化が異なれば、景色や空気が異なります。同じように言葉、食べ物、風習が異なります。文化が異なるとは、これほど多くの要素を含んでおり、あらゆるものに波及します。そしてこれまでに再三コラムで書いてきたように、『音』という文化の根幹をなすとも言うべき、最も難解な形なき芸術は、最古の学問の1つとして数えられています。 この厚みある文化の結集である『音』、または『音楽』というものに対して、日本のかけ離れた『音』に対しての現状から、何を持ってして欧米の音に近づいていくことが出来るのでしょうか? その方法論は、様々に語ってきましたが、そもそもの根本的な思考法として、現在最も重要であると考えられるのは、最も初歩的な 『間違いに気付き、認めることのできる謙虚さ』 ではないでしょうか。 そもそもの路線がズレてしまっており、そのズレが今や大きな違いとして顕著に現れています。そのズレは如何に発生したのか?その起源を調査し、その上に反省と再構築を行っていく謙虚さと熱心な研究が必要なはずです。そうでもしない限り、何かしらを上積みして行ったところで、基盤となる基礎力が無いために、必ず再構築される知識や価値観に押しつぶされるはずです。先ず必要なことは、何故本来あるはずの姿(音)から、大きく路線が外れてしまったかという、反省の念からの研究が必要です。 西洋音楽は、明治時代に日本へ入ってきました。スタインウェイやベーゼンドルファー、現在で言うところのスタジオ機材や蓄音機も、明治という現代文明における幕開けとも言うべき時代に日本へ持ち込まれました。そして、日本国内でもピアノメーカーや音響機器メーカーが産声を上げ、西洋音楽へのアクセスを始めます。音楽教育という面でも、国内で音楽学校が設立され、文化という面でも西洋へ追い付こうとする必死の姿勢を見せるようになります。 しかし私は敢えて、この日本が西洋文明へ近付こうと動き出したこの時に、既に間違いが起こっていたのではないかと提言したいと思います。というのは、大政奉還によって新たな道を歩み始めた日本という国は、それまでの鎖国政策から一転し、一気に世界の舞台で対等に勝負する時代へと突入したわけです。勿論世界からは大きく出遅れていたため、歴史を見ると様々な工業製品を模倣するところから、どのメーカーも歩み始めます。教育も同じく、多くの教師陣をヨーロッパから招き、彼らの思想を取り込もうとしました。つまり、自らの強力な哲学を背景に、何かを生み出したのではなく、殆どのものが舶来の模倣という現状の中、ピアノという芸術品、並びに音響機器も模倣、教育も模倣という中から生まれたものと言えます。これによって、何が失われたのか? 芸術や文化というものは、短期間の模倣で真似できるものではありません。数千年の時を経て積み重ねられた人々の思考、その背景にある哲学というものを、奥底から理解するなど全く不可能です。では、音の文化(音楽)とは何なのか? 『音とは人々の生活に溶け込み、気が遠くなるような時を経て積み上げられてきた、文化の集大成の一部』 と言えるのではないでしょうか?意思を伝える時の言葉、感動を覚える大自然の響き、身を守るために必要な危険音、そして感情を揺さぶられる音楽と、音は意思伝達から芸術までを司る、人にとっては無くてはならない5感の一つと言えます。そしてこれは何十世代にも渡り積み重ねられ、今日に脈々と受け継がれてきました。それでは、こうした何十世代にも渡り積み上げられてきた『音・音楽』を、たった数年、数十年の時を経たからと言って、一気にその感性を取り込むことが出来るでしょうか?明治時代に創業した日本の楽器や音響機器メーカーは、芸術品としてではなく、工業製品としてコピー品を作り出したと一つの結論を導き出すことは、乱暴なことでしょうか?音楽教育は、形や構造の模倣に似た、目先のテクニックだけを取り込もうとしたのではないでしょうか?それは、そもそもの考え方として、当時西洋文化が入ってきたばかりの頃に、西洋の文化的背景を取り込み、思想や哲学までを考えるほどの余裕がなかったのかもしれないと結論付けられないでしょうか?若しくは、そこまでの奥深さを理解できていなかったとも、言えるのではないでしょうか? 芸術品としての扱いなのか?若しくは形や構造を模倣するだけなのか?この模倣から始まった工業製品として考えや理解が止まってしまったことに、そもそもの原因が有るのではないでしょうか?音楽が、目先のテクニックだけで思考が止まってしまい、背景にある西洋の感性・美的感覚を取り込むところまで考えが行き着いていたのでしょうか?もっと手前の理解で終始し、もっと簡単に考えていたということはないでしょうか? この発言は、勿論現代に生きる者だからこそ言えるものであり、インターネット社会というインフラが整備された時代に生きる私からすれば、後出しでのジャンケンであることは重々認識しています。しかし、100年の時を経て、未だに明治時代からの価値観を引きずる日本社会にあって、現状を分析し次のステージに上がるには、私のような者も必要ではないかと思い、以上のような見解を示しています。勿論、明治時代に創業した器楽メーカー、音響機器メーカー、そして教育機関からの恩恵は、私自身も大いに預かっていることについては、よく認識しています。それでも尚、現状を打破しなければならない状況にあり、次世代へと移り変わるこの時期に、真の意味で世界に通用する感性を国内でも育て上げなければならないと考えています。 また、よく言われることとして、 『日本には、西洋音楽が入ってきてから100年しか経っていないから』 という、文化が流入してきてからの期間を、音や音楽における遅れ(ズレ)を指摘する筋もあります。しかし、単なる期間のみで片付けられるものでしょうか?私は自らの仕事を通して、何故日本のみがアメリカやヨーロッパといった西洋文化に限らず、アジア地域やアフリカなども含めて、特異な音を作り続けるのか、とても不思議に思っています。 これは偏に、感覚の差異や感性の違いも有るでしょうが、グローバル目線で見たときには、1つだけ特異という現象は何らかの原因が有るはずです。また、1つの結論を導き出せるものとして、起源となる音・音楽文化が日本へ入ってきた初動期に、明らかに本来ある異文化へのアクセス方法を間違ったからではないかと言えるのではないでしょうか。それが未だに現代へと受け継がれ、誤ったアクセス方法により、誤った音が作り続けられています。外国人恐怖症などという文化が残っているのも、正に明治時代以前からの風習であるように思えます。 日本人がこの初動における間違いを認識することこそが、現代における最大限できるそのギャップを埋める救い手になるのではないかと考えています。形や方法論のみを表面的に習得したことで、それを真に理解したことにはならないことを、肝に銘じるべきではないでしょうか。確かに日本は音楽が催される数、楽器の普及率などでは世界トップクラスです。音楽の市場の大きさも世界第2位です。しかし、世界で最も販売されるマクドナルドのハンバーガーが、何にも増して最も優れた食べ物でしょうか?数を稼ぐのか?若しくは質を重んじるのか?数が大きいほどに、価格は安価で手頃というのが、ビジネス・スクールで学んだ学問的なマーケティングの常識です。ですので、質という意味では、また異なった価値観で、物事を判断する必要があります。質と量は平行して数が大きくなるわけではありません。この事実も、1つに大きな弊害となった事実ではないかと考えています。 そして、表面的な理解、考え方に対しての深い反省から、次なるものとしては、何を持ってして欧米が音を作り、音楽を構成しているのかを洞察する、深い思考力から西洋文化を見る余裕と知性を養う場が必要ではないでしょうか。 それにはまず、これまで日本では常識としてきたことを謙虚な姿勢で捨て、自らの中に常識とされている先入観を払拭し、全く素の状態で新たに西洋音楽に触れる柔軟性が求められると考えています。実際に真の意味で国際的に長い期間、評価を得る日本人というのは、極僅かですが音・音楽の世界の中にも存在しています。彼らの思想は、何を物語っているでしょうか?何故日本を飛び出し、欧米で研鑽を積んだのでしょうか? それは、目先・表面的な理解に留まらないためのものであると、私は感じています。 視点、観点、深度、そして先進性、何もかもが日本と欧米では次元が異なることを体感してきた身としては、その背後にどれほど大きな哲学があるかも感じています。この事実を受け入れるところから、全ては始まると言っても過言ではないでしょう。

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