ベーゼンドルファー社のスピーカーを聴くチャンスに恵まれました。 元々は老舗ピアノメーカーであったベーゼンドルファー社が、新たなジャンルを切り開く意味でスピーカーにチャレンジしたというのは、面白い方向性かと思います。 先ず一聴きして感じたこととしては、音の作り込みにおいては、ピアノのノウハウから得られたであろう、あの繊細なタッチで描かれるウィンナートーンはそのままに活かされ、それとともに高音では若干のか細さと、ダイナミックレンジを多少犠牲にしてでも、とことん木の香りを重視し繊細に奏でられる中音部、そして、現代の音楽を再生する意味では、多少か弱いイメージを持つ音色構成など、これらは正にベーゼンドルファーの持ち合わせるピアノと、同じベクトルで音色を構成してきていると感じました。 今列挙した中で、多少のネガティブ要素はある種の個性であり、この個性はシーソーの原理からすると、『繊細さ』を取るのであれば、『精錬さ』からは多少遠ざかるとご理解頂ければと思います。しかしこれらの要素はあくまで表面的に聴こえてくる音を言葉に変換したまでで、私が感じたこととして最も重視したいのは、彼らの持ち合わせる音の哲学は健在であるということです。 何を作るにしても、一定の音色を絶対的な哲学として一本の柱を立て、そこから一切ブレずに自らの音を貫くこの姿勢は、長い伝統から構築された彼らの頑なまでに自らの意志を貫こうとする、哲学以外の何物でもないと感じさせられます。 例えばケルン大聖堂の起源といえば、4世紀にまで遡ると言われ、気が遠くなるような千数百年という期間において、彼らは脈々と一つの思想を守り抜き、代々一つの目標に向かう強力な哲学を持ち合わせていることが、この事例からも理解できます。 ベーゼンドルファーのスピーカーを聴いた時、ヨーロッパの底力と思想の強さを改めて感じることが出来、再度その魅力に迫ることの出来た一時でした。
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