ここ最近習慣になっている、コラムを書いてみました。結構時間を掛けて書いていますが、自らの考えというものを明確に纏めるよい機会にもなっています。 『間違いを認める謙虚さ。』
今回は、何処で日本の音作りが世界とズレてしまったのか?また、先ずはそのズレを認めるところから始まるのではないか?などのを提言させて頂きました。自分の知る限りでは、余り議論されてこなかった内容に思えますし、最も根本的な原因を探る議論というものも、余り活発ではなかったように思えます。ただ『違う』『遅れている』というのは簡単ですが、それではその違いや遅れは、一体どの時点で発生し、どのようにズレてきたのかを検証しないことには、価値の再構築も出来ないのではないかと考えています。 工学や医学などは、その手順や手法、考え方などを吸収しながら最先端技術を構築することが可能ですが、目に見えない音という分野は、明らかにその感性がものを言う所があり、その感性の構築を苦手とする日本人からすると、嫌顔にでも認めなければならないズレが発生しています。これを修正するためには、今必要とされるのはズレを認める謙虚さではないかという視点の文面です。 ここまで世界から取り残されてしまったのなら、変化を求められることは当然かと思います。
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